私は小学生低学年のころまで、知らない人が自分の家の玄関にいたり、遊んでいた公園で遊具のそばに見知らぬ人が立っていると怖くなってすぐ母に教えました。母は何度も気のせいだから気にしないでというので気のせいだと自分に言い聞かせていました。次第に、そんな体験をしていたことも忘れ大人になりました。
結婚し、子供を授かることができました。子育てしているうちに、ふと自分の幼少期に体験した見えない人たちの存在を深く考えるようになりました。
それは、私をわが子のように可愛がってくれた叔母の死と直面した時でした。叔母は独身で一人暮らしをしていました。亡くなる数日前に、私の母の誕生日会に来て大変喜んで帰っていきました。それから数日後、病気で亡くなったとの連絡が入りました。元気な姿を駅まで見送ったので、私は実感がなくその日はただ泣くばかりでした。
大好きだった叔母に対しての思い出は、たくさんありすぎて心の整理がつきませんでした。叔母とのやり取りの手紙やハガキを読み返しては泣くばかりの日々を数日過ごしていました。
子 供がまだ小さかったので言葉もしゃべることはなかったのですが、ミルクをあげているときや、ベットに寝転がっているときに、天井の角を指さして笑う時が 時々ありました。時には声をあげて笑うので、もしかしたら子供に叔母の姿がみえるのかもしれないと思うようになりました。そして、私自身が幼少期に体験し ていた見えない人の存在を思い出したのです。
私は大人になって心霊体験をしたことはなく、そういった体験を聞くのもすごく怖がっていたので避けてきました。ただ自分がそういった体験をするとは思わず、半信半疑の世界だとくくりつけあまり気にしないように過ごしてきました。
叔 母の葬式の日程が決まり、叔母の遺体と葬儀場の霊安室で対面しました。ほんとうに眠ったような顔でした。亡くなっているのがあまり実感できないというのが 印象でした。というのも、霊安室に入るとなぜか暖かさや言い表せないほどの人のぬくもりのようなものをすごく感じていたからです。叔母からでていたものな のかわかりませんが、まったく話さない叔母の顔をじっと見ているときに感じ取ることができました。
お通夜になり、参列者が席に着きお坊さんがお経 を読み始めると涙をながす人のすすり泣く声があちこちから聞こえ、私も泣くことを我慢していましたが涙があふれ出てきました。そして、叔母の遺影に目を向 けるとお坊さんの近くでスーツを着た叔母が参列者のほうを見ながらうなずいているのがわかりました。言葉は聞き取れませんでしたが、ありがとうとでも言っ ているように見えました。私は叔母を見て怖いといった恐怖心より、自分のお世話になった人に感謝しているやはり心の優しい人なのだとわかりホッとしたこと を覚えています。
人の魂というものは、存在するのだと考えさせられた不思議な体験でした。